半沢直樹です。僕は見てないですけど。
10倍返しというのもあるみたいです。
そのうち100倍返しかな(笑)
サラリーマン社会のリアリティとファンタジーをうまく融合させているところにヒットの要因があるようです。
誰だっていってみたいですよね。「倍返しだ!」
そんなわけで、年末の流行語大賞ノミネートに1000ペリカ。
半沢直樹です。僕は見てないですけど。
10倍返しというのもあるみたいです。
そのうち100倍返しかな(笑)
サラリーマン社会のリアリティとファンタジーをうまく融合させているところにヒットの要因があるようです。
誰だっていってみたいですよね。「倍返しだ!」
そんなわけで、年末の流行語大賞ノミネートに1000ペリカ。
まあ、なんとも商魂たくましいというべきか世も末というべきか。スクール水着で洗車してくれるサービス登場です。
代金は10,000円。もう一度言います、1万円。
郊外の洗車場で自分でやれば500円ぐらいでできることを!
秋葉原商法ここに極まれりという印象。若い女の子、という記号性があればカモられ放題なの?というトホホな気分になるでござるよ。
でもターゲットであるアキバに集まるみなさんがそうそう洗車に1万円払うとも思えず、お金持ちが◯ンツのSクラスを豪快に洗車して、周辺でクルマを持っていない人が見物、という分かりやすい格差社会の縮図が描かれることに1,000ペリカ賭けておきます(笑)。となると、混雑の予感満載なわけで、周辺の交通整理とか、どうするんでしょうねえ。
あともう一つ、場所的に蚊が発生して夕方は洗車スタッフ大弱り、という展開にも100ペリカぐらい賭けてみます。こちらからは以上です。
「旬」といいますか、個人的にへ~と思ったので。
「心が折れる」というのは、古くからある表現だと思っていたのですが、女子レスリング発の言葉だったらしい。
「心が折れる」、起源は女子プロレスの伝説の試合 :日本経済新聞
神取忍さんですか。
現在では自分の心理状態を指す言葉として使われますが、このときは相手の心を折ってやる、という攻撃的な意味で使っていたのですね。面白い。
記事にある通り、「心が折れる」という表現は芥川龍之介のときからあったようですが、こちらは頑なな心を振り向かせる、という意味。そしてさらに唐時代の杜甫が漢文で「平生心已折 行路日荒蕪」という表現をしているようです。こちらはまさに挫折の意味。整理すると…
●唐の時代、杜甫「心が折れる」→挫折
●大正時代 芥川「心が折れる」→気持ちをこちらに向かせる
●1987年 神取「心を折ってやる」→(骨の代わりに)心を砕く
●現在 一般人「心が折れる」→挫折
結局一周りしていまはもともとの用法になっている(笑)というかやっぱり古くからあったのでは?というオチ。まあ、レトリックとして普遍的ですものね。緊張していたものがポキンと折れる、というのはとてもナチュラル。杜甫さんだって、今の人だって、同じ気持なんですよ。
土用の丑の日は、夏に不人気になるうなぎの販売促進として、平賀源内よって仕掛けられたというのは有名です。
でもそれが約250年後、不人気どころか絶滅する事態にまでなるとは源内さんでも見通せなかった。
クジラやイルカを捕獲すると邪魔しに来る人たちは、実際に絶滅しそうな魚類のために暴れればいいのに、と思う。
うなぎは知性が低いから関係ない?誰もお金を出さないからメリットない?
地球にやさしく、とか言ってる人も、うなぎにやさしくしているのを聞いた試しはない。実際に絶滅しそうな生き物のために活動するのが最優先だと思うけどどうなのだろう。ペットボトルのフタを集めるヒマがあったらね。結局ファッションなのでは?と思ってしまう。
僕は、一生食べられなくてもいいから、うなぎが絶滅しないで欲しいと思います。
国民的方言になりつつある「じぇじぇ」。じつは岩手県の一市町村の、それも一部地域だけの方言だったようです。
【ニュース『深・裏・斜』読み】「じぇじぇじぇ」ブームに見る方言考 表現豊かな「文化遺産」+(1/3ページ) – MSN産経ニュース
それって、もしかしたらホントに仲間内だけの「くちぐせ」だったんじゃない?という気もします。
それはそれで「じぇじぇ」なんですけど(笑)。テレビの影響力ってスゴイですね、という相変わらずのお話。
今日(2013年7月11日)に全国で熱中症で病院に搬送された人は1266人。そのうち3人死亡。お気の毒です。この文明の時代に暑さで亡くなるなんて・・・。今年は梅雨明けも早くて過去最高に暑かった2010年を上回るかも、と言われてます。
それにしても、僕の小さい時は熱中症なんて言葉もなかったし、暑さで病院に運ばれる人なんて耳にしなかったけどなあ・・・と思い、調べてみました。
図録▽熱中症死亡者数の推移
やはり年々増加傾向にあるようです。リンク先では、理由として高齢者が増えたからでは、としていますがどうなのでしょう。
中学生のとき(うん10年前)は部活動で水飲むな!なんてみんな暑さでバテバテになりながら炎天下グランドに出てましたね。あの指導は誰が行ったものなのでしょう?死人が出なくて本当によかった。というかどこかでは出ていたのでしょうね。お得意のもみ消し。あの「水飲むな」は日本のスポーツのレベルをかなり下げたと思います。責任者出てこいと言いたい。
それと、他に呼び方なかったの?とも思う。まあ、ピント外れでもないんだけれど、「◯◯に熱中する」という立派な(どちらかというといい意味の)熟語があるので、いまひとつ深刻な感じがしない。酷暑病とかちょっと深刻な響きの名前にすれば、もっとみんな予防的に動くのではないかしら。
それにしても、夏は始まったばかり。とにかくみなさま、暑さにはくれぐれもご注意下さい。
最近、ネット界隈で話題になった記事です。
こりゃ、ほたえな: 自分の娘に性欲のはけ口を求めるサントリーウエルネス広告がキモすぎる
元記事は元記事でちょっと考え過ぎだよなあ、という部分もありつつも、広告に対する「反感」についてどうマネージメントしていくのか、これから非常に大きな課題になるような気がします。
マス広告は、作り手側がネガティブな反応に対して一定の配慮をしますし、出稿についての考査も受けます。影響力が大きいので当然です。
一方WEBは、ターゲットを絞り込んで表現を変えて出稿することが可能なので、ターゲット以外の反応についてはあまり考慮されないことが多いように思います。
元記事にもあるように、A/Bテストの結果「刺さる」表現についてどんどん先鋭化していくバイアスがかかりやすいわけです。
短期的に考えれば当然そのほうが反応が多いわけですから誰だってそうするでしょう。しかし長期的なブランディングとしてどうなのか?という点についてはまだまだ未知数です。世の中には「いいね!」ボタンはありますが、「よくないね!」ボタンはありません。人々が抱いているネガティブなイメージを知る方法はあまりないのです。あるいは、「炎上マーケティング」のように、どっちにしろアクセスを集めたほうが勝ち、という開き直ったような考え方も多いです。
サントリーというまさに広告を知り尽くした企業でもこうしたネガ反応についてコントロールするのが難しいのですから、反応がいいからといって、機械的にキーワードやイメージ写真を切り貼りして広告を出稿することにおいて、その危険性はもっと意識されてもいいのではないかと思います。出る杭は撃たれる、目立つと攻撃される、というのはそもそも目立ちたい広告にとって永遠の課題ではありますが、悪い反応がこうして可視化されやすいネットにおいては、新しい判断基準が必要なのではないかと思います。タイトルに書いたような不快指数を測るとか。まあ、誰も得しないからやる人はいないんだけど(笑)
昭和生まれの僕としては、自分の年齢を知っているかの如く原稿が掲出されること自体、あるいはちょっと調べ物をすると関連するバナーでブラウザが埋め尽くされてしまうグーグル的世界に、一抹の気持ち悪さも感じてしまうわけで。インターネットの世界は、利便性とプライバシー、好感と反感など、いろいろな線引が本当に難しいです。