ブリの名前。

名前シリーズ(笑)

日本語は名詞があふれている、という話を書いたばかりですが、出世魚というのも日本独特(たぶん)ですよねえ。ブリに至ってはこんなに幼名があるらしい。

アオ、アオイオ、アオブリ、アカバニソジ、アカンボ、アブコ、アブゴ、イナダ、イナラ、オオイオ、オオイナ、オオブリ、カテイオ、ガン、ガンド、ガンドブリ、ゴズクラ、コゾクラ、コブリ、サワジ、サワズ、サンカ、サンザイ、サンパク、シオ、シオワカナ、シホノコ、シュントク、ショウジラウ、ショウジンゴ、ショウノコ、ショオゴ、ショオジゴ、ショッコ、シヨノコ、シリマブリ、シロバラ、シロヤズ、シントク、スズイナ、スベリ、セグロ、セジロ、タンゴブリ、チベソ、チャンカラ、チュウモン、ツチ、ツバ、ツバイソ、ツバエソ、ツバス、ツワイソ、テンコ、テンコツ、ドシズレ、ドタブリ、ドヨオイヲ、ナル、ニウドウ、ニサイアオ、ニサイゴ、ニサイブリ、ニニウドオ、ニマイズリ、ニマイズル、ニマイブリ、ニュウドウ、ネイソ、ネリ、ネリゴ、バチ、ハナシロ、ハナジロ、ハナマガリ、ハマチ、ハマチゴ、ハラジロ、ハランボ、ヒッサゲシラス、ヒデリコ、ピンピン、フクラギ、フクラゲ、ブリ、マルコ、マルゴ、マンリキ、メジ、メジロ、モジャコ、モジャッコ、モンダイ、ヤアズ、ヤガラ、ヤス、ヤズ、ヤスゴ、ヤズゴ、ヤゾウ、ヤツゴ、ラギ、ラクラギ、ワカシ、ワカナ、ワカナゴ、ワクウヲ、ワクヨ、ワラサ、、、

それが4歳魚80cm8kg以上になると、なぜか全国統一名称、一人前の「ブリ」という名になるようです。不思議ですねえ。タイトルはバラの名前みたいと思ってつけました。(・ω<)テヘペロ。

11月の別名。

Autumn trees
blmiers2 / Foter / CC BY-NC-SA

11月は霜月、というのはみなさんご存知だとして。

神楽月(かぐらづき) 
子月(ねづき)
霜降月(しもふりづき)
雪待月(ゆきまちづき)
建子月(けんしげつ)
暢月(ちょうげつ) 
達月(たつげつ)
復月(ふくげつ)
神帰月(かみきづき)
天正月(てんしょうづき)

たまたま調べて見たんですが。(ググっただけ(笑)

こんな風に名詞がバラエティに富んでいるのが日本語の特徴のひとつ。いくらでも名前が増えていく。そしてみんな粋な名前ですよね。風流だなって思います。

ボジョレー・ヌーヴォー解禁と言えば(笑)

wijn
Judy ** / Foter / CC BY-NC-ND

11月の第3木曜日はボジョレー・ヌーヴォーの解禁日ですね。
まあ、ワインは好きですが、ボジョレー・ヌーヴォーには興味が無い。というか、世界で最初に飲める場所が日本だということで夜中に馬鹿騒ぎするイメージが強すぎる。あれでいい印象持てなくなっているんですよね・・・もうやってないんですか、そうですか。

そして、面白いのが毎年の出来栄えについてのコメント。キャッチフレーズ?になるのかな。あとでズラッと並べられたらどうしようとか、考えなかったんですかねえ(笑)出任せ感たっぷりでたまらない。毎年この時期に良いネタ投入してくれるなあと微笑ましく、マーケティングの反面教師として自己犠牲の精神に感謝です。え、これもそろそろやらない雲行き?そうですか。いえいえ、この作柄コメントはまさに生きた風物詩なのですから、ぜひ未来永劫続けて欲しいですね。

忘備録として貼っておきます。今年のやけくそ気味のコメントも素晴らしい。

95年「ここ数年で一番出来が良い」
96年「10年に1度の逸品」
97年「1976年以来の品質」
98年「10年に1度の当たり年」
99年「品質は昨年より良い」
00年「出来は上々で申し分の無い仕上がり」
01年「ここ10年で最高」
02年「過去10年で最高と言われた01年を上回る出来栄え」「1995年以来の出来」
03年「100年に1度の出来」「近年にない良い出来」
04年「香りが強く中々の出来栄え」
05年「ここ数年で最高」
06年「昨年同様良い出来栄え」
07年「柔らかく果実味が豊かで上質な味わい」
08年「豊かな果実味と程よい酸味が調和した味」
09年「ここ50年で最高の出来」
10年「今年は天候が良かった為、昨年並みの仕上がり。爽やかでバランスが良い」
11年「最高のミレジム。2009年より果実味に富んだリッチなワイン」
12年「史上最悪の不作ながらそれを補って余りある芳醇な味わい」  ←New!!

褒めます!

Welcome to Facebook's NYC office
bgolub / Foter / CC BY-NC-SA

フェイスブック経由の外国のお友達。なかでも漢字圏のみなさんは日本語でメッセージをくれたりしてスゴイなあと思います。「Konbanwa!」とかのローマ字日本語じゃなくて。

でも、やっぱり違うのは、使い方。

最近気になるのは、写真などをアップすると、いいね!と同時にコメントで「褒めます!」と入っていたりすること。褒める、というのが日本語の場合上から目線のニュアンスがあるのが、感覚として理解されてないのでしょうね。

ただ、嫌だと思っているわけではなくて、こういう使い方でも日本語を使ってくれるだけ素晴らしいと思ってます。たどたどしいのはお互い様。僕は、どんな使われ方であれ世界中で日本語を使う人が増えるのはいいことだと思っていて、それは正しいフェイスブックの使い方でもあると思っているのです。日本語は、世界平和につながる。これ、僕の信条ですから。

なので外国人のみなさま、日本語を少しでも話せる人はぜひ日本語でお願いします。僕は基本的に、喜んでおります。

ネット社会が不愉快なのは左脳でっかちになるから?

thought synthesizer
krischall / Foter / CC BY-NC-ND

以前人間の脳に関するTEDのプレゼンを見たことがあります。

ジル・テイラーさんのお話。(写真の人とは関係ありません)
僕はとても感動しました。
Jill Bolte Taylor’s stroke of insight | Video on TED.com

この方は脳科学者でありながら、自身も脳出血で生死の間をさまよい、その結果ある洞察にたどり着いたとのこと。

僕が勝手にかいつまんで説明すると、
みなさん御存知のとおり、脳は左と右に分かれている。
左脳は時系列や物の名前、数などを認識し、自己と他者の区別を担当する。 右脳は「いま」しか認識せず、まわりの環境との調和を第一に考える性質を持つ。
定量的(左)なものと定性的(右)なもの、という分け方ができるかも知れません。

ジルさんはしきりと右脳の素晴らしさを強調します。

確かに従来から「直感」は右脳、と言われてきましたが、この方は右脳優位に働くことによる調和やそれに伴う幸福感を強調されています。

僕も、その点にはとても納得できる気がします。

特に現在のネット社会では左脳優位になりがちな環境が整っているので、意識的に右脳を働かせるようにしないといけないと思います。

■私たちを左脳的に動かすもの。

テキスト及び記号、議論、スケジュール、将来予測、抽象性、自己同一性などなど

■私たちを右脳的に動かすもの。

ビジュアル、共感、時間を忘れる、現在に集中する、身体性、他者受容性などなど

こうして分けてみると、一目瞭然ですね。

僕たちが不安や不幸を感じるのは、「左脳でっかち」つまり左脳優位過ぎる、という点もひとつの問題だと思います。PCやスマホを時々は手放して、太陽や風を感じ、時間を忘れてカラダを動かしましょう。幸せに近づくために。

僕がプチ感動したコピペ。

saline
Cult Gigolo / Foter / CC BY-NC-SA

『植物状態の人と、今日も会う。』というネットでは有名なコピペです。まとめサイトとかで定期的に流れてきます。コピペにはときどき「おっ」と思わされる文章があるのですがこれもそのひとつ。というか傑作だと思う。本当に医療関係者が書いたのか、この瑞々しく的確な文章と構成、静かにこみ上げる感動、爽やかな読後感。たぶんプロか、プロじゃないとしてもかなり文章を分かっている人が書いていると僕は思います。こんなよくできた短編小説はめったにない。

全文引用します。

植物状態の人と、今日も会う。

仕事で。

ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆

って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、

すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、本気で脈を測っている。

その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、

目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。

何も喋んない。何も食べない。自分で息すらできてない。

人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。

その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。

ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。

1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。

色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は

「いやぁ~あの~」を100回くらい要所に挟みながらも、

つまりは「死んだら、連絡ください」

ということを言った。

可哀そうとは、思わなくなってしまった。もう。

人生のその瞬間だけを見て、ドラマのように「ひどい、可哀そう」とは思わなくなってしまった。

本当に色々な人生が人にはあって。

長い長い色んな積み重ねの中で今、その言葉があるってことを、いっぱい見てきた。

仕方ない。

脈は正常。

呼吸は一定。

でも植物状態。

家族は全てを病院に任せた。

生きてても、死んでても、なんでもいい人。

主治医の興味はどんどん薄れて、そっと、その人は、そこにいるだけの人になった。

愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で、

静かに、ピッ・・・ピッ・・・と彼の心電図モニターの音が響いていた。

この人は、生きているのだろうか。

この人は、死んでいるんじゃないか?

もうほとんど死んでいるんじゃないか?

脳死とかドナーとか命のリレーとか、そういうの見聞きするたびに、

私は見失う。

命ってのは何で、臓器ってのは何で、この人は何で。

血圧が少し、安定しない夜があった。

私は医師に報告した。

血圧を上げる薬も、下げる薬も、たくさんあった。

でも医師は、「んー」を何度も繰り返し、私を静かに諭すように、

「自然に看取ってあげよう」と言った。

死っていうのはさぁ~

医療の敗亡じゃないんだよぉ~

むしろね、むやみに色々やることのほうが~

かえって人間の尊厳を奪い~

人間らしさを奪う行為にぃ~

「美しい」と思う。そういうのって。

美しいし、わかりやすいし、とても満ちているって思う。言葉で聞くと。文で読んでも。

人間らしくないよね。機械につながれて、点滴チューブに囲まれて、ただ延命されてる。

しかも誰一人、「この人を助けて」って人もいないわけで。

うん。

うん。

うん。

先輩にそう伝えると、「うん・・・」

後輩にそう伝えると、「はい・・・」

私たちは、そうして、彼のカルテを閉じた。

その日、たまたま飲みに行って、うまいうまい言って煮物を頬張りながら、

全然違う話をしてたのに後輩が、

「でも、なんか今日、いつもより顔色良かったですよね」

と、言った。

「あの人さー、髭はえる速度、超はやくないー?

 私、朝そったのに、夜もうボーボーだったんだけどー」

と先輩がクスクス笑った。

手を、彼の手を、握ったことがない看護師はいない。

毎日、毎勤務、私たちは欠かさず、彼の手を取り脈を測る。

彼の名前を耳元で呼び掛ける。

体を吹く。

腕を取り、足を抱えて、抱きしめるかのように、体位をかえる。

毎日毎日熱を測って、熱のある日には氷枕を、熱が下がればそれを枕に。

汗をかけば、タオルでふいて、髭をそる。爪を切る。

そんな中で、「あれ?今日、顔色いいな」って日がある。

「あれ、今日苦しそうだな」って日もある。

毎日、毎時間、違う。

脈も血圧もタンの量も、すこしずつ違う今日がある。

どんだけ機械に囲まれようとも、管に絡まれようとも、

この人を、人間らしくないなんて思えたこと一度もない。

わかっていても、目の当たりにすると脳死は人の死だなんて思えない。

生きているとしか思えない。

意識がないことなんてちっぽけなことなくらい、

今ここにある命が圧倒的すぎて、

命すげぇーって思って、

死んでく人もたくさんみるからこそ、

もう生きてると死んでるじゃ、全然違って、

「人として生きてるとは言えない」って言葉が薄っぺらに感じるくらい、

ただもう、ただもう、命があるってことがすごい。問答無用に。命がすごい。

学生の頃は「病院で死ぬということ」を読んで感銘を受けて、

人間らしく生きるとは~!なんて必死だったけど、

人間なんて、どう生きたって、人間らしくしかならないわけで。

法律とか、もう色々あるんでしょうけど、

その時代時代の雰囲気で変わるものの上に乗せてしまっていいのかと思うくらい、

今、現場で、毎日見つめる命というものは、すごい。すごすぎる。

脳死という問題があり。延命という問題がある。臓器という問題もそこをウロウロしている。

命のリレーと言われたり、死待ちの医療と言われたり、枯れ木に水と言われたり。

でも、今、その命の目の前に立ったとき、何も正解を言えない自分がいる。

植物状態の人と、今日も会う。

明日も明後日も、やっぱり会いたいと思っている。

出世魚ならぬ出世「語」。

I See Who You Are Now
マジ!ウソ!ヤバ!HckySo / Foter / CC BY-NC

僕の知る限り、今世紀(あるいは20世紀後半から)最大の出世日本語は「ヤバイ」に決定です。

語源由来辞典によると、もともと「ヤバ」という形容詞があったようですが、僕が小さい頃は、刑事物のドラマなどでだいたい犯人やヤクザ関係の方だけが使用するような言葉でした。「あいつもパクられちまったぜ、こっちもそろそろヤバイな」そんな感じの使われ方。

子供が使おうものなら、その時点で不良決定です。あんな言葉を使う子供と付き合ってはいけません、とまわりの大人から言われるレベル。

それが、80~90年代ぐらいからかなり一般的になってきました。とはいえ、まだ「常軌を逸してるよね」という意味での使われ方でした。バラエティで使われだしたのもその頃ぐらいですかね。「お前その髪型ヤバイな」みたいな感じ。

それが21世に入って、一定の閾値を超えるものはいい意味としても「ヤバイ」が使われ始めました。「マジヤバくね?」はGOOD・BAD両方の意味で使いますよね。その閾値がまた低いw

いま、僕のまわりの小学生は「ヤバイ」「キモイ」「ウザイ」のだいたい3語で会話を成立させています。男の子も女の子もです。「このアイス、ヤバくね?(とてもおいしいの意)」「ゲーム1時間までとかウザ」「なめこキモくてオモロイ」そんな感じですよまじヤバイ(笑)

意味がほぼ180度変化しただけでなく、頻度もスゴイ。とにかくしょっちゅう「ヤバ!」って言ってます。

いちおう教育的にはたしなめてますけど、馬の耳に念仏。「ウザ」って言われるだけですよ(笑)

まあ、子供の世界のあれやこれやはさておき、こんなに日陰から日向へ大転換した単語もめずらしいので、僕的な出世語ナンバーワンとして表彰したいと思います。あんたはヤバイ!