バース、ジレット

広告はドヤ顔してたなあ・・・(遠い目)


この広告、覚えている方いらっしゃいますか?

ティザー広告の大成功例として広告業界では有名です。

ドヤ顔、ですよね。

いや、バースさんの顔が、ということではなくて、メッセージの伝え方がドヤってる、ということが言いたいのです。これ、分かりやすい例かなと思って。

思えば、この広告に限らず、広告ってみんなドヤ顔だったよなあ、と。(その頃はもちろんドヤ顔なんて言葉はなかったですが)

商品にしろ、サービスにしろ、「こんな素晴らしいものができました」「欲しいですよね」「使いたいですよね」という問いかけを内在していました。どうですか!と自信満々に消費者にアピールしていました。

さて、現在。

ドヤ顔というのは、ちょっと恥ずかしいものとしてみんな認識しています。

「なんか、自慢気だよね」「たいしたことないのにね」「自分の世界だよね」

モノを欲しがらないこの時代において、僕はそれが世間が「広告」というものに向ける視線とダブって見えてしょうがないんですよね。

昔から、広告は共感だ、自慢ではない、と教えられたし、実践もしてきたつもり。

しかし、媒体を使って企業側の立ち位置でドーンとメッセージを流す時点で、どんなに控えめな表現をしたとしても、消費者の目にはドヤ顔に映っていないだろうか?という疑念が離れません。広告だけでなく、マス媒体そのものに向けられる視線が、ドヤ顔に眉をしかめる気分にあふれているのではないか・・・。

広告に染み付いたドヤ顔の名残。でもそこを意識させないようにシカケを作っていくと、ステマと呼ばれるし・・・。

コミュニケーションの手順とか、作法とかが、いろんな意味で変わっている最中なのでしょう。真剣に考えなくてはいけないところだと思っています。