肩パッド 太眉

「自分らしさ」はどこへ行く?

ファッションは20~30年周期で繰り返す、とも言われており、80年代を振り返ると今後が少しは見通せるのかなあ、という考察。やや長文、まとまってもいないし、オチもないです(笑)

●キーワードは「自分らしさ」

80年代からいままで、ずっと「自分らしさ」という概念が常に消費者を動かしています。細分化こそが消費のエンジンだったからです。そして80年代はこんな感じが自分らしかった。

・肩パッドと太眉

サムネイルもそうなのですが、80年台の自分らしさはイコール自己主張。肩パッドを付けて体を大きく見せる、眉を太くして意志を強く見せる、みんな「オレがオレが」精神のなせる技。青年実業家というのもいました(笑)いまもIT系で若くして起業する人、儲かっている人もいっぱいいますが、青年実業家とは言わない。NPOとか、社会貢献のほうがかっこいい、という流れもありますね。

・クルマも、レストランも、遊び場も

何かが流行れば、世代を超えてドドーッとそちらに流れたのが80年代。なめネコとかね。ハイソカーと言われればハイソカー、あのフランス料理店が美味い、スキーが楽しい、と言われればみんなで通ったのも80年台。みんなで行くのに自分らしさもへったくれもないと思うのですが、「最新のモノ・楽しみを知っている自分」という自分らしさが、強い価値を持っていました。あるいは、それまでの時代の願い=人並みになりたい、という「人並み」のハードルが上がった、というべきか。

しかし、最新のモノを追いかける、というスタイルに、21世紀に入ってかなりブレーキがかかっていると感じます。人並みは、けっこう疲れるのです。キリがない。

●目立つ=自分らしさ、が変わった

80年代からすると、自分らしさから「目立つ」という要素がかなり削ぎ落とされていると感じます。それには、ネット社会の影響が色濃く出ていると思います。

・日々醸成される目立ちたくない心理

出る杭は打たれるの日本文化ですが、それに拍車がかかっています。何かあるとすぐ「炎上」するネット文化が影を落としています。逆に同じネット文化の影響で、日常的にそれなりに自己承認欲求が満たされてしまう、ということもあると思います。メールで継続的に友だちとつながっている感覚も得られるし、ちょっと面白い写真や文句をネットに流せば「いいね!」やリツイートされます。無理して目立たなくても、うっすら満たされている感覚がある。

・癒し、エコ、ナチュラル

90年代ぐらいからずっとこの傾向は続いています。僕なんか、80年代と比べたらずいぶん東京の空気もきれいになったなあと思いますが、まだまだらしい。それに、仕事も遊びもフル活動だった80年代のほうがみんな疲れていたと思いますが、いまのほうがみんな癒されたいと思っている。なんででしょうね。CO2削減で原発推進、爆発したら一転反対、地球環境保護も混迷の度合いを深めながら進行中です。

・最近のサッカー選手と野球選手

最近、海外で活躍するサッカー選手が増えました。彼らの自然体が印象的。年収何億も稼ぐ成功者のくせに、それをひけらかそうとは微塵にも思っていない。ヴィトンづくしで空港に現れた中田英寿ともすでに違う。そして肩パッド入りダブルスーツが定番の野球選手とも文化が違う。いずれにしろ、前述の若手IT起業家もそうであるように、80年代の空気感と比べると、成功者の自己主張が違ってきています。

・そもそも、お金がない

これには僕は異論があって、実際にはバブル期でも若者はお金を持っていませんでした。でも経費で落とすだ接待だで、自分のお金でない飲み食いというのが結構あった。また無謀なローンを組んでデザイナーズのスーツを買ったりしていました。給料は上がるもの、と信じてるわけですからね。これは先行きの見通しの問題です。低成長の時代になったらワークシェアすべきだと思いますけどね。独占する人が出るから格差が出る。あたりまえの話です。

●草食は続く=バブルは2度と来ない

少ない例ですが、こうしてみると80年代と現在では、あまり共通するものがないなあ、と思います。昭和と明治ぐらい違うんじゃないかと思えるほど。そして、世の中的に「自信」が蔓延していないと、自分らしさアピールもできない、それに連れての消費も行われないだろうという気がします。

80年代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」論が台頭するなど日本人は自信満々でした。特に「モノづくり」については絶対的な自信があった。しかしその後、そのモノづくりさえ新興国に奪われ、日本人が自信を持つ機会がほとんどなくなってしまいました。いま自信をもって輸出できるものといえば、ほんとにサッカー選手ぐらいかもしれない。

しかし、メディアに取り上げられたり、高級乗用車に乗ったり、金ピカの時計をすることだけが自己承認欲求を満たすチャネルだった80年代と比べ、いまは様々な方法で自己承認が成されるし、そもそも変に目立ちたくないしで、若者の「草食」的な振る舞いは今後も続くと思われます。

自信は無いけど、自己承認はされている。というある意味不思議な状態。極端な例でいえば、社会的にはひきこもりでも、2chでは大活躍、みたいな。

金さえあればなんでも買える、的な80年代が珍しい時代だったのかもしれないとも思います。それに比べて、いまのほうが薄く広く全員が承認欲求を満たすことができる可能性がある。しかし・・・

個人的には経済成長しないと国家運営は大変だ、と思っています。現状維持は右肩下がりを意味します。だから癒し草食の流れがいいことだとは思っていないのですが、予想としてはこのままで行くのだろうな・・・という感じです。

全然うまく書けてないので、このあたりの話はもっと定期的に書いてみようかと思います。